東南アジア起業中期に学んだ「個人の覚悟から、組織の組み立てへ」——記事15〜25の振り返りまとめ

起業ストーリー

この時期を振り返ると、経営の重心が少しずつ変化していった感覚が思い出されます。

それは、覚悟や気合といった個人の内面の問題ではなく、 どうすれば組織として無理なく続けられるか、という課題に向き合う時間でした。

自分が前に出てがむしゃらに働けば何とかなる──。 そう信じてきたやり方が、少しずつ限界を迎え始めたのもこの頃です。

以下では、記事15〜25を通して経験した出来事を振り返りながら、 「個人の覚悟」から「組織の組み立て」へと視点が移っていった過程を整理していきます。

1. 自分が動けば回る、という感覚の終わり

この頃までは、多少無理をすれば自分が動くことで大抵のことは何とかなる、そんな感覚をまだ手放しきれずにいました。

それは体力や気力の問題というよりも、「経営者とはそういう役割なのだ」と、どこかで思い込んでいた部分が大きかったのだと思います。

自分が前に立ち続けることで回っているように見えて、実際には判断が集中し、全体の動きを鈍らせていた。その違和感を、ある出来事をきっかけに、はっきりと自覚するようになります。

この違和感が、結果的に「自分が無理をして回しているだけの状態」だったことを、後になって突きつけられました。

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2. 任せることは、信頼ではなく設計だった

当時は「従業員を信頼して任せているつもり」でした。

むしろ、信頼しているからこそ細かく口出しをしない、それが正しい任せ方だと考えていたように思います。

ただ今振り返ると、そこには任せ方の基準や仕組みがなく、自分の期待だけが先行していました。

何を、どこまで、どんな判断基準で任せるのか。その線引きが曖昧なまま、任せた“つもり”になっていただけだったのです。

そして、その曖昧さは、時間が経つにつれて小さなズレとなり、やがて問題として表に出てきました。

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3. 属人性が強いほど、組織は脆くなる

人に頼ることで組織は回りますし、実際、この時期は特定のスタッフに助けられた場面も多くありました。その人の判断力や行動力に、何度も救われたのは事実です。

ただ、その頼り方が積み重なるほど、組織そのものが不安定になっていく感覚も強まっていきました。

特定の人がいないと回らない状態が続くほど、「組織としての形」が少しずつ崩れていくのを感じていたのです。

人に頼ることと、人に依存することは似ているようで、まったく違う。その違いを、頭ではなく実感として学んだ時期だったと思います。

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4. 仕組みを作ることは、距離を取ることだった

組織の仕組みを作ろうとすると、どうしても感情的な距離が生まれます。

それを「態度が変わった」「冷たくなった」と受け取られることもあり、実際に関係がぎくしゃくした場面もありました。

仕組みを作ることは、感情を排除することだと誤解されがちですが、近すぎる関係のままでは判断が揺らぎ、結果的に、どちらも苦しくなる。

そのことに気づくまでには、ある種の衝突が必要でした。

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5. それでも、手放さなかったもの

仕組みを整え、役割を分け、距離を取っても、最後に残る経営者の責任だけは変わりませんでした。

任せる範囲を広げ、判断元を分散させても、最終的な責任から逃れられるわけではありません。

むしろ、「色々と手放したからこそ、残された責任がはっきり見えた」。そんな感覚に近かった気がします。

この時期の経験は、経営者としての覚悟の“量”ではなく、“質”を変えた出来事だったと思います。

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まとめ

記事15〜25を振り返ると、この時期は「成長」というよりも、「整理」に近い時間だったように思います。

自分が前に出続けるやり方の限界に気づき、任せ方を誤り、頼る怖さを知り、距離を取ることの意味を考え続けました。

どれも、うまくいった話ではありません。ただ、その一つひとつが、「個人の覚悟」だけでは事業は続かない、という現実を少しずつ教えてくれました。

この後の記事では、こうして組み直した組織とともに、さらに別の課題や判断に向き合っていくことになります。

次のフェーズは、仕組みを作ったその先で、再び人と向き合い直す時間でした。

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